言葉が通じないからこそ、想像力が育つ『動物介在教育』
コロナ禍での社会問題の一つがネット上での誹謗中傷。図らずも新型コロナウイルスに感染してしまった方への心無い言葉が飛び交い、相手の気持ちを思いやるという想像力が欠如してきているのかもしれません。このような現代社会で育つ子ども達に「相手を思いやる力を育む」教育はますます重要視されてくると言えるでしょう。そうした教育の一つとして、少しずつ認知されてきているのが「動物介在教育」。言葉を話せない動物の気持ちを想像し行動することで、相手の気持ちを考える力を養っていきます。そこで今回は「動物介在教育」の研究・普及をされてきた的場美芳子先生と佐野葉子先生にお話を伺いました。
約30年前の学会がきっかけとなる、日本の動物介在教育
―動物介在教育との出会いを教えてください。
的場先生
1995年に横浜で開かれた世界獣医学大会(※1)に参加しまして、そのときに初めて動物行動学とか、人と動物のかかわりに関する講演を聞きました。とても新鮮で興味深く、この分野の研究者がいるシアトルや、ニューヨーク郊外にあるヒューメイン・エデュケーション(※2)を提唱するグリーンチムニーズなど、いろいろなところに行って勉強しました。その後母校の北里大学大学院医療系研究科の養老孟司先生の下で、博物学の基礎や「ひとと動物のかかわり」という新しい分野を学び、動物介在療法の基礎的研究を始めようとしましたが、活躍できる犬も指導者もいない。そこで今度はトレーニング法を学びにアメリカに行きました。動物の持つ癒し効果を人々の健康の向上に役立てるという、まさに「ペットの力で社会貢献!」という取組みをしていたデルタ協会(現ペットパートナーズ協会)(※3)があります。そこで「ペットパートナーズ・エバリュエーター(介在動物とハンドラーのチームを評価する人)」の資格を取り、日本でも人材育成を始め、ASAET(※4)を立ち上げることになりました。
佐野先生
私は元々助産師の仕事をしていまして、病院に勤めておりました。そんな中で中学校や高校に頼まれて子ども達に性教育を行う機会がありました。保健の先生方からはしっかりと命の大切さを伝えてほしいと言われていましたから、当時私が飼育していた犬を連れていきまして、生き物を大切にしたいと思う気持ちは、自分たちの体や命にも同じことなのだと伝えていました。その後、自分でもそういったことをもっと勉強したいと思い、玉川大学や日本獣医生命科学大学で学ぶようになりました。現在は東京福祉大学の保育児童学部で、子どもの保健や、子どもの健康と安全、乳児保育などの科目を担当し教鞭をとりながら、ASAETに参加させていただき、さらに学びを進めています。
専門的教育を受けた犬と人が行うことが大切
―そもそも動物介在教育とは?
的場先生
ASAETでは以下のように定義していますが、大切なのは一定の基準を満たした動物と、動物介在教育の専門家が存在することです。
動物介在教育:Animal Assisted Education (AAE)
動物介在教育は、動物を「いのちある教育のツール」として活用し、教育の質及び学習意欲の向上を目的に行われる。
動物介在教育とは、対象者各個人または、グループ(クラス)での教育または学習の目的や目標が設定され、教育計画(または学習計画)に基づき、一定の基準を満たす動物とハンドラーと共に、特別なトレーニングを受けた専門家(動物介在教育エデュケーターなど)または教員によって、教育活動の範囲で実施され評価される。
参考:ASAET公式ホームページ 『動物介在教育とは』
なぜ動物介在教育の専門知識を持った方が必要なのかと言うと、これは動物介在教育についてネガティブに思う方の理由にもつながりますが、動物由来の感染症や公衆衛生上の問題、動物アレルギー等に対して正しく安全に行動しなければならないからです。また、教育のツールとして正しく活用するためのプログラムも、普段の業務で手一杯の教員が一から学んで準備するのは難しいですよね。ですから、動物のサポートをするハンドラーと教育プログラムを実行していくエデュケーター、そしてプログラム全体をサポートするアシスタントの3つの役割の人がチームで行っていくわけです。
―なぜ動物が有効なのでしょうか?
佐野先生
単純な理由からお話しすると、大人もそうですけど、多くの子ども達は動物が好きですよね。そんな大好きな動物と関われるということは子ども達にとっては喜びなんです。ですから、例えば勉強で苦手な分野があっても動物と一緒だからやりたい気持ちになったり、がんばって一緒に達成したいという気持ちが生まれたりするんですよね。それから、動物は言葉を話さないけれども、反応は返ってきます。ですから目的を達成するために、表情を観察したり、気持ちを察したりすることで、相手を思いやって行動する力を育んでいくことができます。
動物介在教育を通して得た、子ども達の変化
―動物介在教育は、具体的にどのようなことを行い、どのような効果を上げているのでしょうか? 世界や日本での事例を教えてください。
佐野先生
海外だとグリーンチムニーズ(※5)がわかりやすいでしょう。1947年にサミュエル・ロス博士が設立したアメリカ ニューヨーク州の特別養護学校で、動物介在教育を取り入れ、障がい(虐待によるトラウマ、学習障害、自閉症、アスペルガー、胎児性アルコール症候群、多動症、強迫性障害等)をもつ子ども達が約200種の動物のお世話などをしながら生活をすることで精神的に発達することを目的としています。親から育児放棄された動物の世話を通して、ヒューメイン・エデュケーションをもとにした命を守る大切さを学んだり、多動症の子が怪我をした動物の世話を通して思いやりの心を育むことで、激しく動いたり追いかけたりする行動を抑制するスキルを身につけていきます。
日本ではまだまだ動物介在教育の認知度が低いですが、海外から取り入れたプログラムを行っているところも増えてきました。例えば、アメリカのユタ州から広まった動物介在教育「R.E.A.D(Reading Education Assistance Dogs)プログラム(※6)」とは、子どもが動物(主に犬)を相手に本を読み聞かせるというものです。アメリカから広まった動物介在教育の1つですが、日本の市立図書館でも開催されたことがあります。子どもは突然本を読もうと思っても集中できなかったり、人に聞かせようと読むと緊張してしまったりしますよね。でも犬が相手ならそういった緊張感がありませんし、上手に読まないと、と気負うことが無いんですね。その結果、本を読むことはもちろん、集中力や積極性まで高まる効果が見られています。
的場先生
私が実施した動物介在教育の事例をご紹介します。
平成17年、18年の2年間に渡り、動物介在教育に取り組まれた世田谷区立尾山台小学校のプログラムで、実際に専門的教育を受けた犬(=教育支援犬)と一緒に学習した場面の指導計画です。(以下の表参照)掛け算の授業は、掛け算の基本と1~5の段の授業に16時間、6~9の段の授業に15時間を使います。そこで、教育支援犬がサポートすることで学習効果の向上が期待されると思われる、2時間の授業の中に教育支援犬を導入しました。掛け算の基本を学習する授業では、教育支援犬が登場するVTRを作成しました。
授業では、『身振りで伝える』というゲームを行いました。これは子ども達が5人1組のチームになって、カードに書いてある指令を身振りだけで伝言ゲームの様に次々と伝えていき、最後の子どもがハンドラーに伝えて、ハンドラーが犬に指示し、犬が正しくできれば成功というものです。ここで子ども達は、「犬には言葉がわからないはずなのに、なぜスワレ、マテ、フセなどの指示がわかるのか」について話し合います。そこで、犬は飼い主(ハンドラー)の顔、目の動きをよく見ていることや、きちんと見ている時に指示を行えば伝わるということに気がつきます。
教育の成果は子ども達の感想文に表れていました。例えばきちんと命令することでスムーズにできる「ごはんをあげる」は多くの子ども達の成功体験につながっていました。また噛まれないかという不安や唾液まみれで舐められる経験などに耐えてごはんを与えられたことで達成感を得られていました。
行動変容も見られました。最初は犬に興奮していた子ども達が、回を重ね、自分たちと犬が気持ちよく過ごせるよう、クラス全体が静かに先生の話を聞くようになりました。また算数の授業の中にも取り入れ、かけ算九九の暗唱に意欲的に取り組めるようになった子どももいました。
それから、兵庫県赤穂市の塩屋幼稚園(当時:名和圭子園長)では、人権教育の中に動物愛護教育活動を取り入れたプログラムを行いました。子ども達が足を広げてトンネルを作り、その中を犬が駆け抜けるというアクティビティを行いました。犬が通りやすいようにするはどうすればいいのか、苦手なお友だちの次でも間隔を開けてしまうとどうなるか、騒いだりよそ見をしたりしていたらどうなるのかなど、様々なことを自分たちで考えて何度も挑戦する中で、相手の気持ちを想像する力や目標達成のためにやりきる力につながりました。
佐野先生
私は「思春期セミナー」という、中高生に向けたセミナーを開催したことがあります。思春期教育というと、恥ずかしいと思う生徒さんもいますが、教育支援犬を介在することで場が和み、相手の気持ちを考えることの重要性を考えることができます。具体的には、この犬が今何を考えているか想像してもらいます。イラストの中の人の気持ちを考えるより、実際に目の前にいる、生きている犬の気持ちを考える方が授業の効果は大きいと考えています。そのあとパワーポイントを使用して、体の仕組みや変化、一次的欲求、二次的欲求などの講義をします。最後に、犬もいろいろ考えて生活している事、可愛がってもらうと嬉しく思うことなどを話します。このように教育支援犬を介在するカタチで思春期セミナーを行い、相手の気持ちを考える力を養います。
―動物介在教育の難しさはどんなところですか?
的場先生
動物介在教育を行うには専門的な人材や教育支援犬の育成が不可欠ですが、この活動を行っている多くの団体が寄付や助成金などで運営されており、無償ボランティアに頼っているのが現状です。そういった経済的な課題が1つあります。それから、日本の学校制度の特徴として先生や校長先生が頻繁に異動され考え方が変わり、継続的に取り入れられにくいというのも課題の1つです。ですから、家庭のペットだけではなく、地域社会の動物や自然にも興味関心を持ち、理解を示していく社会を作っていくためにも、動物介在教育はとても重要な役割を果たすと思っています。
文字のない絵本だからこそ育まれる、気持ちを想像する力
―お二人が制作された絵本『あのね‥』について教えてください。
佐野先生
この絵本(※7)は優育プロジェクト(※2)の動物介在教育の教材として制作しました。制作した理由としては、私が犬好きというのもありますが、犬のことを犬の立場になって考えてほしいと思ったことがきっかけです。この絵本、実は文字がないんです。絵だけで展開されるので、手に取った子ども達が自由に考えて物語を作るうちに、犬のことをじっくり考える機会になります。それから文字がないので、まだ文字が読めない年齢の子ども達や、日本だけでなく海外の子ども達も読むことができます。また、子どもだけでなくお父さん、お母さんや妊婦さんにも読んでもらいたいと思います。この絵本を通して相手の思いや気持ちを想像して、具体的に行動することを親子で話し合うきっかけになればと思っています。
実際に子どもが読んでいる様子の動画はインスタグラム(@ah_no_ne)で見ていただけます。どの子も夢中になってお話を作ってくれています。
それから、今コロナ禍で感染のリスクなどから動物介在教育は一時停止中ですが、この絵本なら、遠くの方にもリモートでのセミナーやワークショップの教材として使えると考えています。
的場先生
今教育現場で求められているのは、「アクティブラーニング(生徒たちが能動的に教育を受けられるよう、体験型学習やグループワーク、討論、発表を取り入れた学習法)」や「SDGs(持続可能な開発目標)」につながることです。そうした中で、この本に出てくる「犬」という存在は、大きさも色も毛の長さも多種多様だということをみんなが知っているし、それが当たり前ですよね。犬を通じて生物の多様性を認めることで人種差別撤廃や、命の大切さ、平和教育にもつながると考えています。また、子ども達の中には動物アレルギーを持つ子もいますので、そんな子ども達にもこの絵本をどんどん使ってほしいと思います。
それから、昨年行う予定でした『Animal World Cup』(※8)が新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期されましたが、今年度は2021年6月19日(土)〜25日(金)に『Animal World Cup 2021ジャパンフェスティバル オンラインウィーク』として実施される予定です。こちらでは、絵本のワークショップや作品の表彰式のような楽しい取組みを優育プロジェクトのwebサイト上で準備しています。コロナ禍においても、新しい形式で開催できることを楽しみにしておりますし、オンラインでより多くの皆さまにご参加していただきたいと思っています。
動物と共存し、動物を理解できる社会に向けて
―今後目指していきたいことをお聞かせください。
的場先生
そもそも動物について、人々が必要だと感じ、大切にしていきたいと思える社会を創っていきたいです。
例えば、普段動物と接していない方の中には、動物は不衛生だと思われている方もいらして、コロナ禍では動物よりもAIペットロボットの方が無難と考える方も出てきていると耳にすることがあります。でも本当に世の中から動物が消えてしまったら、ペットがいなくなってしまったら、私たちは生きていけるのかということをもう一度考えてほしいと思います。動物園が無い国、無い時期は戦争が起こっているケースもあり、動物と触れ合えるということは、平和な世の中であるとも言えます。また都市を開発するときに建物だけでなく公園を作り街路樹を植えるのは、やはりそれが人間に必要なものだからです。次々にIT化が進み、無機質なものに囲まれる生活になってきましたが、身近な生活や教育で、そして子どもの頃から生き物に接して、生き物の大切さを理解することで、人も動物も共に生きていける社会を目指したいですね。
佐野先生
動物の可能性はたくさんあると思いますので、もっと日本で動物介在教育を広めていきたいですね。やはり子どもにとって動物と関わることは、お友だちとの関係性や生きる環境、そして人種差別などさまざまなことを深く考えるきっかけとなり、人間形成に大きく影響を与えられると思います。また、最近は失敗するととても落ち込んでしまって閉じこもってしまう子も増えていますが、動物がいることで一緒に乗り越えたい、そのためにどうすればいいのかをあきらめずに考えて試行錯誤するといった生きる力の土台育成になるんじゃないかと思うんですね。海外では取組みも進んでいますが、それをそのまま日本で行うことは難しいので、日本に合ったやり方を模索し、広めていきたいです。
参考
※1 世界獣医師大会
獣医学の向上に係る研究の推進、獣医学的知識に基づく人間のための安全な環境の保全を図るとともに、獣医学研究者間の学術交流と親睦を推進することを目的とする世界獣医学協会が3年に1度開催。
※2 ヒューメイン・エデュケーション(Humane Education)/優育プロジェクト
※3 ペットパートナーズ協会(旧デルタ協会(the Delta Society))
※4 特定非営利活動法人 動物介在教育・療法学会(略称:ASAET)
人と自然が共生できる社会の実現に貢献することをミッションに、動物介在教育、動物介在療法が日本の文化に根付き発展するための礎を築くための活動を行う。
※5 グリーンチムニーズ(Green Chimneys)
アメリカ・ニューヨーク郊外に1948年設立。障害をもつ子ども達が、動物との触れ合いにより心のケアを行う児童養護施設。アニマルセラピーを中心に、動物たちと子ども達が生活を共にしている。サミュエル・ロス博士:グリーンチムニーズ創設者。バージニア大学卒業後、ニューヨーク大学大学院で幼児童教育学を専攻し、博士号を取得。ニューヨーク州、デルタ協会など数多くの賞を受賞。
※6 R.E.A.Dプログラム
※7 絵本『あのね・・』
2020年10月17日発行。出版社:㈱羽車、プロデュース:的場美芳子、著者:さのようこ、絵・デザイン:あんどうえりこ、企画:優育プロジェクト
※8 Animal World Cup (アニマルワールドカップ)
人とペットが健康でよりよく共生することの意義を国内外にアピールするために企画。動物介在スポーツを通じて人とペットのQOLを高め、希望あふれる未来を創造することを目指す。